のぼうの城 忍城とさきたま古墳

 埼玉県行田市にある忍城跡、現在は郷土資料館となっている。北は栃木県との境となっている利根川、南は荒川に挟まれた低湿地帯にある。この2つの河川や支流によって作られた自然堤防や、伏流水が湧き出て集まった沼地に残る島や高地を利用して、忍城は築城された。室町時代15世紀後半のことである。

郷土博物館御三階櫓

 元々この地域は湿地帯で、沼地に島が存在するような地形だった。上の図は天正年間に描かれたものであり、水色の部分が沼地である。忍城はこの沼地を埋め立てることなく天然の堀、島を曲輪として利用し、間に橋を架けて移動を可能にしていた。
そのため堀が多く、難攻不落の城であるということが図からも見て取れる。

行田市水城公園

 水城公園は忍城の外堀の沼を利用して整備された公園である。この地域が湿地帯であったことを彷彿させる風景である。

 石田堤(いしだつつみ)は、豊臣秀吉による関東平定の一環として小田原方の成田氏長居城である武蔵国・忍城を石田三成らが攻めたとき(忍城の戦い)に、水攻めのために忍城の周囲を総延長28 kmに渡って築いた堤である。現在はわずか数十メートルしか残っていない。

 

石田堤跡

 丸墓山古墳に通ずる道が、かつて石田三成が忍城を水攻めした際に造営した石田堤跡である。三成は丸墓山古墳の頂上に布陣した。そこからは忍城がよく見えたのである。

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