NHKドラマ「坂の上の雲」は、2009年から3年間に渡って放送された連続ドラマである。
その最終回(第13回)、秋山真之が母の危篤の報を受けて駆け付ける場面を取り上げる。
日露戦争における日本海海戦は明治38年(1905)5月27日~28日に戦闘が行われ、ロシアバルチック艦隊をほぼ全滅させるという大勝利を挙げた。この時真之の母貞(竹下景子)は病で床についていたが、真之(本木雅弘)の勝利を新聞の号外で読み、同居する真之の兄嫁である多美(松たか子)と共に喜びそして安堵した。ほぼ無傷で広島宇品港に帰還した連合艦隊と共に真之は広島に居たのだが、母危篤の報を受け宇品島から機関車で山陽本線、東海道本線を乗り継いて新橋に到着した。新橋から馬車で両国橋駅へ向かい、両国橋から総武線で津田沼駅のホームに降り立った。その間27時間程かかったのではないだろうか。
津田沼駅には妻季子(石原さとみ)が迎えに来ていた。このドラマをはじめて観た時なぜ津田沼駅なのかが判らなかった。というのも、秋山好古(阿部寛)は年老いた母を松山から東京の家に呼び寄せて暮らすことにしたという経緯が、前回までに説明されていたからである。実は秋山好古は日露戦争開戦の前年に習志野に創設された陸軍騎兵第一旅団の少将に着任していたので、習志野に住居を移していたのである。母貞も長男好古の屋敷に留守家族と共に暮らしていた。ドラマでは好古の騎兵旅団着任は割愛され、いきなり真之が津田沼駅に降り立つというシーンが描かれたので、すぐには理解できなかったのだ。
ところが、先日このドラマを動画配信サービスで見直したら、第8回で好古が騎兵旅団の少将に着任し、一家で習志野の屋敷で暮らしているシーンがあったことに気づいた。私は放送時にその回を見逃していたのである。その第8回では、いよいよロシアとの開戦を決意した海軍省幹部が、連合艦隊司令長官に東郷平八郎(渡哲也)を任命し、秋山真之を連合艦隊参謀に抜擢することが描かれた。真之はその参謀就任と戦艦三笠乗艦によりロシア艦隊との戦闘に臨むことを、習志野に暮らす年老いた母貞に報告しに来るという設定であった。この回を観ていれば、最終回の母の危篤に際し、津田沼駅に降り立ったことが理解できたであろう。
陸軍騎兵第1旅団は秋山好古の進言を基に明治42年(1909)千葉県習志野に創設されたものである。 真之が習志野の母の元に駆け付けたとき、好古は中国大陸でロシア軍と対峙していたので、母の臨終にはとうてい立ち合うこともできなかった。
ドラマでは省略されていたが、真之は津田沼駅から旅団長専用の馬車で好古の屋敷へ向かった。津田沼からは成田街道を馬車で30分程だろう。好古は成田街道沿いの薬円台1丁目6、現在は紳士服のアオキがある辺りに広大な一軒家を構えていた。好古はなぜ旅団司令部のある大久保ではなく、薬円台に住んでいたのだろうか?
地図を見ると、好古の家は、旅団司令部には少し遠いが、陸軍の騎兵演習場には近かったのである。演習場は現在の陸上自衛隊演習場である。思うに好古は司令部に居るより、騎兵を鍛えるために演習場にいることを好んだのであろう。
秋山真之は結局母の臨終には間に合わず、秋山邸に到着した時、貞は和室に寝かされて白い布を顔にかけられていた。
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