王子と千川上水

1.武揚王子飛鳥山真景

国立印刷局お札と切手の博物館にて許可を得て撮影

 この図は明治21年に制作された「武揚王子飛鳥山真景」という日本画である。作者は鉄斉菅真郷とされているが、作者の詳細は不明である。東京都北区王子、桜で有名な飛鳥山を北側から遠望して描いている。飛鳥山の麓には当時の日本鉄道奥州線(1883年(明治16年)、日本初の「民営鉄道」として上野駅 – 熊谷駅間が開業した。)の線路が見える。線路は図中左から右に画面を横切っている。左手が上野方面、右手が大宮方面である。手前に煙突が何本か描かれ煙を上げている。図中左端⑬の煙突は、紙幣寮の製紙工場(現国立印刷局王子工場)である。画面中央の二本の煙突⑰は抄紙会社(現王子製紙)の工場である。

 そして画面飛鳥山の麓に小さく覗かせている煙突がある。現在の地理でいうと飛鳥山の南側の本郷通りより奥、旧大蔵省醸造試験所のあった場所である。私が初めてこの絵を見た時、⑬と⑰の煙突はすぐに旧紙幣寮抄紙部(現国立印刷局王子工場)と旧抄紙会社(現王子製紙)の工場であると判ったが、画面上方の⑫の煙突は何の工場なのか判らなかった。大蔵省印刷局100年史によれば、明治12年(1879年)12月、空地となっていた豊島郡滝野川村の陸軍用地7249坪(23921㎡)を陸軍から譲渡を受け、そこに藁紙料製造所を建設した。藁紙料というのは、紙の原料として藁を用いる方法を印刷局が独自に開発したもので、稲藁を苛性ソーダで蒸煮し、漂白、洗浄するという工程を経て抄紙用原料パルプを得る。この工程において各種機械を用いるがその動力源として千川上水による水車を利用したのであった。

 下の図は「武揚王子飛鳥山真景」をどこの地点から見て描いたかを地図で示したものである。おそらく図中の顔マーク☺の地点からの風景であろう。ここからだと、飛鳥山の麓に紙料製造所の煙突が見えるはずである。

 2.千川上水王子分水

 現在の千川上水路を以下「千川上水上流図」、「千川上水中流図」、「千川上水下流図」に図示する。これらの図は「ねりま文化財(平成16年(2004)3月)」より引用した。千川上水は、西東京市と武蔵野市の境界にある境橋に玉川上水からの分水口がその始まりの地点であり、ここから武蔵野台地を西から東に流れる。

千川上水上流図

 

千川上水中流図

 上井草駅から北東に向きを変え、環八通りを越え、西武池袋線に沿って中村橋駅、練馬駅、桜台駅を経由して江古田駅からすこし向きを東南に変える。

千川上水下流図

豊島区に入ると江古田を過ぎた南長崎で直角に北東に曲がって、西部池袋線を潜って東武東上線千川駅、大山駅、板橋区役所前駅を経由して中山道沿いにJR板橋駅を過ぎた先の千川上水公園で終点となる。

 江戸時代は千川上水はもちろん開渠だったが、巣鴨に達した上水の水は巣鴨から先は地中に埋められた木樋により、小石川御殿(綱吉の別荘)、湯島聖堂(幕府学問所)、上野寛永寺(徳川家菩提寺)、浅草浅草寺(幕府祈願所)六義園(綱吉の寵臣・柳沢吉保の下屋敷)の他、江戸の本郷、湯島、外神田、下谷、浅草などに飲料水として供給された。このうち寛永寺へは、伏せ越しと掛樋を活用し、谷田川の対岸台地上へポンプなしで上げることができたといわれる。幕末の慶応元年(1865)に、分配堰の直ぐ上流を起点(下図反射炉分水A点)として、新たな水路が開削された。その流路を王子分水(図中には反射炉分水と書かれている)と呼び、江戸幕府の大砲製造に伴い造られ、反射炉(D点)の錐台水車への利用が主な目的だった。その王子分水はA点から石神井川(音無川)へと流れていた。正確には、石神井川を掛樋(E点)で渡していた。王子分水を石神井川に樋で渡したのは、農業用水としての利用のためであり、明治以降は製紙工場への供給のためでもあった。

北区史通史編より
千川上水王子分水流路図

3.紙幣寮抄紙部紙料製造所

現代では工場の動力といえば電力会社から電気を引いてそれでモータを回すのだが、日本初の白熱電灯が点火されるのは6年後のことである。そして東京で火力発電所が誕生したのが8年後の明治20年(1887年)であった。それゆえ滝野川村に藁紙料の工場を建設したときの動力源は、水車であった。また繊維の洗浄にも大量の水が必要なので千川上水を引き込む必要があった。

 ここで藁からパルプを得る工程を簡単に説明する。まず、稲藁を短く3㎝の長さに切断し、苛性ソーダと石灰を加えて大釜で煮る。このとき釜には蓋をして加熱するので、藁は蒸されたようになる。すると釜の中で繊維がバラバラにほぐれるので、塩素で漂白しその後洗浄してパルプができる。ガスや石油がない時代の蒸煮とは、釜を薪で炊いたのだと思われる。上の日本画の煙突はこの釜を炊くときの薪から出る煙を排出する煙突であろう。

 蒸煮の次の工程は叩解である。文字とおり繊維を叩いてほぐすことであり、西洋では水車や風車の力で叩解を行う仕組み(スタンパー)が発達し、その後、17世紀には筒状の刃を回転させて効率的に叩解を行うビーターと呼ばれる叩解機がオランダで発明された。*1

参考文献 1 紙の歴史:紙の基礎知識|紙を選ぶ|竹尾 TAKEO(htttps://www.takeo.co.jp/finder/paperhistory/)

紙幣寮紙料製造所の水車は、ビーターを回転させる動力源として使われたと考えている。

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