トマス・ハリス原作のサイコミステリー映画の金字塔と呼ばれている映画である。私は原作を先に読んだので、映画全体の印象を原作と比べてみる。映画のストーリーは原作にほぼ忠実である。人物の造形もほぼ同じだが、猟奇的殺人者であると同時に精神科医でもあるレクター博士をアンソニー・ホプキンスが演じており、この名俳優が高度な知性を持ちながらも狂気の人格を持つ人間を、「冷静な不気味さ」で表現していて、原作の人物像を映像化するとこんな人間なのかと納得する。
タイトルの羊たちの沈黙とは、主人公のFBI訓練生クラリスの生い立ちに起因する事柄なのであるが、少女時代に孤児となったクラリスは、酪農を営む親戚に引き取られる。明け方にその家が食用として飼っている羊を屠殺する時に上げる羊の悲鳴が多感な少女には耐えられずに、ある朝1匹の子羊を抱いて農場を脱走したのだが、途中で捕まってしまい助けられなかった。その記憶が今でもクラリスのトラウマとなっている。このシーンを映画では、クラリスがレクターに刑務所の独房の格子越しに語ってみせるのみで、子羊を抱いて走る映像はない。
原作にはなく映画にだけある要素から、ジョナサン・デミ監督の原作への解釈とそれを映像化する際の創造について述べたい。
映画はクラリスがFBIのアカデミーのある敷地のトレーニングコースである森の中を一人で走る場面から始まる。彼女の激しい息つかいとスエットシャツから立ち昇る湯気から訓練コースがタフであること、その孤独なランニングが今後彼女を待ち受ける状況を示している。
映画の中で、小柄で非力な女子訓練生がマッチョな男たちの集団と対峙する場面がいくつかある。一つ目の場面は、連続殺人事件の指揮を執っているクロフォード主任捜査官がクラリスを捜査に参加させようと呼び出したので、クラリスは捜査チームのある建物の上階に向かうエレベーターに乗り込むのだが、そのエレベータには大勢の大柄なFBI捜査官の男たちが乗っていて、小柄なクラリスは男たちの群に囲まれてしまう。次のシーンでエレベータの扉があき、大勢の男たちが降りてくるのかと思いきや、彼らは途中の階で皆降りてしまったようで、クラリスが一人で降りてくる。この描写がのちに容疑者に一人で立ち向かうことを予感させる。
二つめの場面は連続殺人事件の被害者の女性を発見し回収作業を終えた地元警察署の警官たちの一群が、死体袋の周囲でFBIの捜査を見守るように待機している。クラリスはクロフォードらとこれから被害者の検死を行うのであるが、被害女性のおそらく凄惨な姿を男たちに晒したくないクラリスは、マッチョな警官たちに丁寧にしかしきっぱりと退室するよう告げる。警官たちは一瞬戸惑ったように互いに目配せをするが、大人しく部屋を出てゆく。クラリスは男たちに決然として意志を見せ退出を勝ち取ったのである。この映画が作られたアメリカ合衆国の1991年は、女性が男社会に進出を始めた時代に合致する。文献「アメリカ企業の女性活用の進展」*1によれば「アメリカ企業が女性の活用を推進しはじめたのは、1980年代後半から90年代にかけてのことであり、日本よりも10年以上も前のことである。」と記載がある。サイコミステリーではあるがこの映画のもう一つの側面は、既存の男社会に進出する勇気ある女性への応援メッセージでもある。
死体とそれを囲む人々の場面として、この連続殺人の被害者の検死場面の直前に、クラリスの少女時代の回想場面が挿入される。それは男手一つで育ててくれた中西部の地方警察官だった父が、強盗事件の捜査中に犯人たちに撃たれ殉死してしまい、その葬儀の場面である。棺の置かれた部屋に佇む大勢の大人たちおそらくは父親の他は身寄りもないクラリスにとっては知らない大人たち、の中を一人で棺に向かって歩み寄る場面が挿入される。その時天涯孤独になってしまったクラリスの心細い心情を描いているのである。ここでも監督はクラリスが孤独であること、一人で人生を歩んで行かなければならないことを強調するのである。
以上の映像からクラリスの置かれた状況が一人で挑む状況であること、彼女が強い意志の持ち主であることが判ってくる。しかし全くの孤独ではない。バッファロービルと世間で呼ばれるようになった連続殺人の犯人像を絞り込むために、同じく犯罪者でもあるレクター博士のアドバイスを受けるのだが、クラリスは犯人像のヒントを貰う代償として自らのトラウマ、羊たちの悲鳴の話を差し出す。精神科医であるレクターは逆境を強い意志の力で乗り越えてきてFBI捜査官候補までたどり着いたクラリスに、大いに興味を持ち、この作品を通じて刑務所の独房に居ながら彼女の捜査を助けるのである。いわば安楽椅子探偵とその助手の構図である。原作は猟奇殺人とその犯人を推理する狂気の精神科医に焦点が当てられていたが、映画では、ヒロインを通じて当時の社会情勢を反映させた女性の社会進出をもう一つの焦点にしていたと思う。
文献1;アメリカ企業の女性活用の進展、染谷 真己子、杏林大学大学院国際協力研究科『大学院論文集』№ 5 ,2008.3
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