週末テニスプレイヤーの原点

 私が硬式テニスを始めたのは、1982年のこと今から40年前になる。当時はボルグ、マッケンローが全盛期で、日本中がテニスブームであった。あちこちにテニススクールが開校し、テニス用品店テニスショップも繁華街に多数あった。今では信じられないだろうが、女子大生の間でテニスラケットを抱えて歩くことがファッションの一つであった。

 そんなテニスブームに釣られた若者の一人であった私は、池袋の西武百貨店屋上のテニススクールの初心者コースに入会してテニスを始めたのであった。コーチがネットの向こうから緩い山なりの打ちやすいボールを打ってくれるのをフォアハンドで打ち返した。「パコン」と乾いた打球音を残して自分の打ったボールが空中を弧を描いて向こうに飛んで行く。そしてそれをコーチが打ち返してくる。ラリーが2~3回続いたとき、テニスって楽しいな、そしてボールの軌跡がなんと美しいのかとも思った。その瞬間からテニスという球技に魅せられ、以来40年も続けている。私が最初にテニスに接したときに得た楽しさは、ラリーの楽しさ、ボールを交互に打ち合うこと、そのたびに生まれる打球音とラケットから受ける振動であった。打球音と振動が爽快感をもたらした。もっとラリーが続いたらいいな。楽しいだろうなという思いが、上達のための動機になった。練習に熱が入った。

 テニスを始めて3~4年は暇さえあればテニスをしたかった。壁打ちテニスもした。川口のテニススクールに通った。職場のテニスサークルにも入部した。仲間と軽井沢や白子にテニス合宿にも行った。当時の若者の多くが夏はテニス、冬はスキーをして遊んだのである。当然テニス道具にも関心を持っていた。その頃、テニスラケットが進化を遂げていた時期であり、80年代に入るとラケットの材質がウッドからグラスファイバー、そしてカーボングラファイトへと変わり、軽量化していった。同時にラケットのガットを張る楕円形の部分の面積も広がっていったのである。いわゆるデカラケの登場である。これは革命的な出来事であった。それまでラケットの打球面の面積は70平方センチで一定のものだと思われていたのである。この面積はウッド材質の強度からの制約であったようだ。打球面の面積を増やしたとき、ガットを張るテンションを支える強度がウッド材質では得られないのである。だがアルミやカーボングラファイトは強度が得られるので面積を増大することができた。打球面の面積が増えればスイートスポットも広がり、打ち損じが減るという訳である。Prince社が発売したPrinceProというデカラケが大ヒットした。当時35,000円もしたので薄給の私は買えなかった。そこでもっと安いミズノ社のグラファイト製ラケットCX630というのを購入した。

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