小津映画の中で「東京物語」を一番の傑作に挙げる人も多いが、私は「秋刀魚の味」が一番好きである。妻に先立たれた初老の会社重役の父親が婚期を迎えた娘を嫁に出すという小津作品に頻繁に描かれるストーリーである。
学生時代の同級生3人が行きつけの料亭でクラス会の相談をしている。今度のクラス会に担任の教師を呼ぼうか意見を言い合っている。この同級生たちは旧制高校から東京帝国大学を卒業し、軍隊での戦争経験を経て現在はいずれも大手企業の重役についている、高学歴のエスタブリッシュメントである。共通の趣味はゴルフであり、行きつけの料亭やバーでの他愛無い雑談を交わしながら酒を飲むのが楽しみのグループであるが、子供が結婚適齢期を迎え縁談の話も飛び交うのである。
主人公はこのグループの一人である笠智衆演じる平山である。平山は太平洋戦争時には海軍将校であったようで、バーで偶然出会った元海軍兵の坂本(加東代介)に「艦長」と呼ばれる。しかし坂本に艦長と呼ばれても嬉しそうな様子はなく、むしろ寂しげに微笑する。その姿が彼が戦争に対して苦く複雑な気持ちを持っていることを窺わせる。平山が執務をする場面で窓の外には4本の煙突が見えて、そこが鉄鋼会社か化学製造会社であることを示しているが、決裁書類に目を通して判を押すシーンで重役であることが描かれる。
娘を嫁にやった披露宴の帰りにバーに立ち寄り、ウイスキーを飲んで酔って家に帰る。ほの暗い部屋で「まもるも攻めるも黒鉄の~♪ か」と軍艦マーチの一節を苦いものでも吐き出すようにつぶやく。カメラは部屋の中に残された姿見を写す。それは亡き妻が生前使っていたもので、花嫁衣裳に身を包んだ娘が今朝その姿を映し見た鏡である。娘は嫁ぎ先に持参せず家に残した。娘はその母の形見まで持っていっては父が寂しいだろうと思い置いていったのだろうか。その姿見に自分がぼんやりん映っているのを見て、そこに戦争で生きがいとか希望といったものを失った、大企業の重役であってもちっとも幸せそうでない初老の男を見出す。それがこの映画が描きたかった戦争で傷ついた日本人なのではないか?
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