国産8ビットパソコンの登場と共に、個人がコンピュータを持てる時代に突入した感があった。1979年にNECがPC-8001を発売したのである、私は時代の最先端であるコンピュータ技術を身に付けたいと思うようになっていた。大学で専攻した金属工学だけでは、これからの時代が乗り切れないのではないかとの危機感もあった。私とコンピュータの接点は、1982年に年に発売された富士通のFM-7というパソコンを翌年1983年に購入したことに始まった。8ビットのパソコンで価格は12万円程だったと思う。メディアではタモリがイメージキャラクターであった。本体とキーボードのみで、ディスプレイやマウス、記憶装置はない。内臓のBASICが付属していて自分でプログラムを組んで走らせることができる人にしか使えないものだった。私は当時コンピュータを勉強し始めたばかりで、自宅でコンピュータをいじれるというだけで購入したのだった。しかし外部記憶装置は付属してなかったので、折角作ったプログラムを保存できないことが致命的だった。フロッピーディスクドライブはとても高価で手が出なかった。ラジカセのテープに記録する方法が解説書に書かれていたが、うまくできなかった。デジタルのプログラムをアナログの音声テープに記録するのである。ピーヒョロロという音として記録するのである。インターフェースはイヤフォンジャックであった。本当にこんなものでプログラムが記録できるのか半信半疑であったし、実際私はうまく記録できずにあきらめてしまった。
結局BASICでプログラムを組んでも保存できないので、プログラミングの勉強はあまり進まなかった。データレコーダでも買えばよかったのだがそこまで投資をする意欲はなかった。しかし2進法やブール代数、コンピュータの演算のしくみ、デジタル信号処理などコンピュータの基礎理論の勉強は続けていた。
プログラミングと接近するのはそれから3年たった1986年に、仕事で印刷製品の検査にコンピュータを応用しようという研究プロジェクトに参加した時である。職場にあったパソコンはNECの16ビットパソコンPC9800だった。BASICで画像処理のプログラムを書いて、5インチのプロッピーディスクに保存した。ただしPC9800の内部メモリにある画像に対して、画像処理を行うので極小さな画像しか扱えなかった。研究段階なので、検査対象を製品の1/3の領域に限定して処理をした。アルゴリズムの開発と検証はできたが、実用的ではなかった。ちょうどその頃大容量の画像メモリを積んだフレームグラバーという画像専用の外部メモリボードが発売されるようになった。フレームグラバーの誕生は、1980年後半から、CPUの処理速度向上と、パソコンに外部機器を取り付けるための拡張バスの規格化により、カメラ映像をパソコンに取り込む撮像信号の入力機器として製品化が進められた。我々の研究チームもフレームグラバーを購入しより大きな画像に対して、画像処理を行える環境を整えた。パソコンとフレームグラバーの間のインターフェースはGPIB(General Purpose Interface Bus)という通信規格を採用していた。しかしあくまでも画像メモリなので、画像処理は画像をパソコンの内部メモリに分割して持ってきてBASICで組んだアプリケーションで実行し、処理後の画像をフレームグラバに戻し、次の分割画像を持ってきてパソコンCPUで画像処理をするというもので、時間は掛かったのである。
1990年代になり1991年頃にアメリカのシリコングラフィックス社製IRIS4Dというグラフィックワークステーションを職場の研究所に導入したことにより、我々画像処理の研究チームのパフォーマンスは大きく上がることになった。当時のPC98シリーズのパソコンとは比べ物にならない大容量、高速の画像処理専用コンピュータであった。UNIXマシンである。しかもOpenGLという画像処理ライブラリー(画像処理アルゴリズムを集めたプログラム集)を内蔵していた。自分で1から画像処理のコーディングをすることなく、使いたい画像処理を関数として呼び出すだけでよかった。ただし、OpenGLをインクルードしたC言語のアプリケーションプログラムは自分で書く必要があった。UnixというOSで動くコンピュータだったので、C言語でプログラムするのである。そしてOpenGLをライブラリーとして指定してコンパイルすると実行ファイルが作成され、この実行ファイルを走らせて画像処理を行うのである。このグラフィックワークステーションは当時2000万円程の値段がした。かなり贅沢な研究機器を買ってもらったということである。
この研究開発投資は大いなる成果を上げることとなった。この研究により外部には生産委託させられない、極重要な製造工程の工期短縮と精度の大幅な向上に成功したのである。コンピュータ技術を身に付けてよかったと思える瞬間であった。
時は流れ、2000年代になるとパソコンOSであるWindows及びwindowsマシン(windowsが動くパソコン)は飛躍的に進歩した。画像処理応用の研究には、高価なunixマシンでなくとも、パソコンで十分な時代となった。
インテル社が公表している第1世代CPU4004と第12世代Coreプロセッサの比較を示す。最新製品である第12世代Coreプロセッサと4004を比較したのが下図である。トランジスタ数は4004の2300から数十億になり、各性能で飛躍的な進化を遂げていることが分かる。
この対比表を見ても、パーソナルコンピュータの飛躍的進歩が実感できると思う。40年前、やっとの思いで買った8bitのFM7で大したこともできなかったのが、今や画像処理は当たり前、インターネットで鮮明な映画も視聴できるのだ。CPUの他にGPU(Graphics Processing Unit)を積めば、自宅でリアルタイム対戦型ゲームやディープラーニングで画像解析もできる。パソコンがこんなに進化することなど思いもしなかったが、でも当時は漠然とコンピュータ技術で未来が開けてゆくだろうな。その時流に遅れずついて行こうと考えたのは事実である。
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