ドライブマイカーというタイトルの文章だが、濱口竜介監督の映画の話ではない。私が車を運転する話である。月に一度、自宅のさいたま市から千葉県へ実家の空き家管理に往復するのだが、そのドライブウェイでお気に入りの道路がある。東京外環自動車道の三郷南IC – 高谷JCT間のトンネルである。この区間は2018年(平成30年)に開通した15.5kmの道路であり、京葉JCTを経て京葉道路と接続している。このトンネル内をハンドルを握って走る時の、非日常の異空間をひた走る感覚が好きである。
2018年に開通した部分は全線がトンネルなのだが、完全な地下ではなく片側は天井から側面にかけて縦に細長い窓が開いていて外光が差し込み、規則的な光と影の縦じま模様が続く。不思議な空間である。この風景は私にシュールレアリズムの画家 ジョルジョ・デ・キリコの絵画「通りの神秘と憂鬱」を想起させる。極端な遠近法で描かれた、同じ形のアーケードが続く無人の建物の前を少女が輪を転がしながら走る、不安げな絵である。
どこかありそうで、どこでもない場所。長く伸びた影が黄昏時を告げ、一日がもうすぐ終わってしまう掴みどころのないやるせなさを湛えている。そんなキリコの絵を彷彿させる異次元感を持った東京外環トンネルである。キリコの絵には少女の不安をどこまでも持続させるように、遠近法のかなたまで続くアーチ図形が繰り返されている。実際にハンドルを握る私の眼にも、折れ曲がった光と影が延々と続く。この単調な図形の繰り返しが、非日常空間となって不思議な高揚感を私にもたらす。
またこの東京外環道路のトンネルドライブは、旧ソビエト連邦の監督タルコフスキーの映画「惑星ソラリス」の冒頭のシーンを思い起す。タルコフスキーは未来都市を表現するのに、実際の東京の首都高を車で走ってロケーションした映像を使用した。首都高はソビエトの人には珍しかったのかもしれない。
日本人にとっては見慣れた首都高の光景が、ソ連人のタルコフスキーには未来都市の光景に映った。それだけ当時(1972年)としては日本は未来都市だったのだ。確かに都会のど真ん中を河川や橋の上を自在にくねるように這いまわる高速道路など、世界のどの都市にもなかっただろう。異次元の見たこともない空間だった。それはシュールレアリズムにも通ずる異空間だったかもしれない。そんな未来を先取りした東京に私たちは生きていた。その活気、猥雑さ。若者たちのエネルギー。それが1970年代の東京だったのだ。
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