映画は湿地帯で起こる殺人ミステリーである。これまで、この私のブログサイトで関東がかつて大湿地帯であったことを、繰り返し取り上げてきたが、湿地帯というのは実際どんな景色の場所なのだろうか?「頼朝は大湿地帯だった武蔵国東部をどう行軍したか」、「関東平野における縄文海進と湿地帯の開発」、「柴又、帝釈天そして水元公園」を参照いただければ幸いである。その景色を思い浮かべるのに手がかりになるような映像が、この映画「ザリガニの鳴くところ」である。冒頭の湿地帯の映像が美しい。一羽のペリカンが湿地の葦の草むらから飛び立ち、観客を鳥の視線で湿地帯を上空から俯瞰しながら案内してゆく。葦の茂った島状の緑の陸地と湖のようなあるいは蛇行する川のような水辺がまだら模様に入り組んだ地形。「湿地帯と沼地とは違う」とナレーションが流れる。そして「湿地のあちこちに点在するのが本当の沼」だという。この映画で描写される湿地帯の画像が入手できなかったので、代わりに茨城県菅生沼の風景を図示した。映画のロケ地もこのような場所であった。
この映画の舞台は最初から最後まで湿地である。湿地で孤独に成長し、今も一人で生きる少女の物語である。物語はさておき、映画の中の湿地帯の風景であるが、沼と森、湖と葦原、ときには河川のような場所もある。ラムサール条約の定義には、「湿地とは、天然のものであるか人工のものであるか、永続的なものであるか一時的なものであるかを問わず、更には水が滞っているか流れているか、淡水であるか汽水であるか鹹水(塩水)であるかを問わず、沼沢地、湿原、泥炭地又は水域をいい、低潮時における水深が6メートルを超えない海域を含む。」とある。湿地の定義はかなり広いといってよいようだ。
上の図は歌川国芳作の「隅田川筏渡之図」という、嘉永5年幕末に描かれた頼朝渡河図である。鎌倉時代の出来事を江戸末期に描いているので、伝聞や誇張というバイアスは掛かっていると思うが、川というより大きな湖に筏を並べて漕いでいるような図である。湿地帯のなかの水路を進むような感じであろうか。遠景には湖に浮かぶ島にこんもりとした樹木の群生も見られ、手前には葦が茂る岸辺のような描写も見られる。湿地帯の風景とはこんなものではないだろうか。
頼朝が隅田川を渡って進軍した当時の武蔵の国の風景について文献を探した。十三世紀後半に成立したといわれる「源平盛衰記」(第二十三巻)によると、「今一両日此に逗留して、上野下野の勢を催立て、渡瀬を廻て打上らん事如何あるべき」との記載がある。現代語に翻訳すると、頼朝は「一両日の間此処(市川)に留まって、上野、下野からの援軍を待ったうえで、渡瀬を巡って進軍しようではないか」と主張した。つまり自然堤防の上を飛び石づたいに進軍しようと言ったのであり、この時代の武蔵の国の土地の状況を描写している場面である。この文章を冒頭に提示した茨城県菅生沼の風景と重ならせて見てほしい。浅い水辺のところどころに丈の低い茂みを持った島状の陸地が点在している。この島状の陸地を足掛かりに二万騎の将兵を行軍させたのである。
ところで映画の話に戻る。タイトルのザリガニが鳴くところとは、父親の乱暴狼藉に耐えかねた母親が、家族を捨て家を出てゆく決心した時、残していく娘である主人公に「もし、とても耐えられないようだったら、ザリガニが鳴くところまで逃げなさい。」といった言葉のことである。しかし、本来ザリガニは鳴かないのである。それが鳴くところとは、この世ではないところ、ここからはるか彼方まで逃げろ、あるいは黄泉の国に逃げろという意味なのか。
苛酷な生い立ちを持った主人公は、母、兄弟そして父までもいなくなり、たった一人で湿地で成長する。年頃の娘になった主人公は、ある青年の殺人の罪を着せられ拘束され裁判になる。彼女には犯行時刻にアリバイがあり無罪を勝ち取り、幼馴染の青年と結婚し幸福な人生を手に入れて、人生を全うして年老い死去する。彼女の死後、夫は若き日に彼女が容疑をかけられた殺人事件の真犯人であった証拠を見つける。主人公はザリガニの鳴くところまで逃げつづけて、彼女の人生を全うしたのであった。それは湿地でない普通の土地で暮らす人々からすると、反社会的な価値観に基づく行為だが、残酷な弱肉強食の湿地の世界で生きている生き物たちから学んだ彼女にとっては正論だった。
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