歴史

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徳川政権による江戸の建設

17世紀から19世紀における世界的大都市である江戸は、その建設の初期から大江戸を目指したのではなく、その時々の必要を満たすために建設が行われ、時代の変化に適応する形でその規模や形態を変えて拡大していった。そして拡大の期間は家康、秀忠、家光...
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習志野大久保新田の謎

1.薬師寺縁起  習志野市大久保銀座通りに面して薬師寺があり、その境内に掲げられた縁起には「慶長五年(1600年)関ヶ原の戦いに加担した河内の国の郷士、市角頼母は大坂冬の陣、夏の陣に相ついで敗れ、一族郎党を率いて関東に逃れ、現在の本...
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のぼうの城 忍城とさきたま古墳

 埼玉県行田市にある忍城跡、現在は郷土資料館となっている。北は栃木県との境となっている利根川、南は荒川に挟まれた低湿地帯にある。この2つの河川や支流によって作られた自然堤防や、伏流水が湧き出て集まった沼地に残る島や高地を利用して、忍城は築...
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家康の鷹狩と東金御成街道

 東金御成街道は千葉県船橋市本町から同県東金市田間、同県山武市小松までの約37キロメートルをほぼ一直線に結んでいる街道である。なお東金市田間から山武市小松までの部分は砂押街道と呼ばれる。徳川家康が九十九里方面での鷹狩のために土居利勝に命じ...
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習志野市大久保地区の歴史

1.戦国時代から江戸時代 豊臣家臣の武将であった市角頼母(いちずみたのも)は大坂夏の陣の敗戦により、一族郎党関東まで敗走した。その後下総の国大久保に土着し、当時荒地であった大久保を開墾し豪農となり、この地の名主となったとの伝承があ...
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ザリガニが鳴くところ -湿地帯の景色

 映画は湿地帯で起こる殺人ミステリーである。これまで、この私のブログサイトで関東がかつて大湿地帯であったことを、繰り返し取り上げてきたが、湿地帯というのは実際どんな景色の場所なのだろうか?「頼朝は大湿地帯だった武蔵国東部をどう行軍したか」...
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柴又、帝釈天そして水元公園

 葛飾区は今は東京都だが、もともとは下総国葛飾郡だった。下総国の国衙こくがは今の千葉県の市川市の国府台にあったことからもわかるように、もともとの葛飾郡は千葉県の方が本拠地であった。今でも、市川市、松戸市、船橋市、柏市などは「東葛飾」地方と...
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浦和にうなぎ屋が多い理由

埼玉でうなぎが食べられるようになったのは、江戸時代だといわれています。当時、浦和の周辺にあった川や沼地では、川魚に混じってうなぎが生息していました。江戸と京都を結ぶ中山道、日本橋から3番目の宿場町として栄え、多くの人が行き交い賑わいを見せ...
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関東平野における縄文海進と湿地帯の開発

 関東平野は丘陵地、台地および低地から成り立っている。造盆地運動により沈降した海底に、周囲の山地や火山から供給された土砂が堆積し、海水により浸食が繰り返され、加えて地殻変動による隆起、沈降といった活動によって、多摩丘陵や狭山丘陵といった丘...
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列島誕生 Gio Japan

日本列島の成り立ちを最新学説に基づき紹介したNHKの自然科学番組である。2017年放送。この番組で初めて、日本列島が大陸の一部から分離し、二つに別れた後弧状列島を形成したことを知った。 日本列島の成り立ち 日本の成り立ち ...
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