このサイト名runnerhillからも判るとおり、”running”は私のアイデンティティのひとつである。自分が駆けっこが得意であることは小学校3年生頃から自覚していた。運動会ではリレー選手に選ばれ、徒競走ではいつもテープを真っ先に切るのは自分であった。中学生になり部活動に何を選ぶかというとき、たまたま小学校以来の友人タケシ君から陸上部に仮入部してみようぜと言われ、そのまま他のクラブには行きもせず陸上部一択で入部した。活動内容は走ることばかりであったが自分の性に合っていたようで楽しかった。陸上はチームワークとか、球技のような対戦相手への戦術的な要素が少なく、自分の努力が即数字となって出る競技である。入部して1年目の半年過ぎくらいで、出場する大会の日から逆算して自分の調子を当日に最高に持っていくよう計画することも、この競技の面白さだと知った。
私の中学時代の成績は3年生時に100m 12秒4である。しかし100m走での県大会出場はならなかった。県大会予選の市大会で5位だったためである。しかし100mと同時にエントリーした200mで4位に入賞し、県大会出場には2位までしか出場できなかったが、上位2選手が辞退したため「棚からぼた餅」で出場権を得た。棚ぼたではあったがうれしかった。母校の代表として県大会に出場することを無上の誉と考えたのである。しかし陸上選手としての晴れがましい記憶はここまでである。高校ではバスケット部に鞍替えしたし、大学では体育系の部活動はしなかった。社会人になってからはテニスに魅せられテニスにはまった。ランニングが再び接近するのは、結婚した後子育てでテニスする自由時間が持てなくなって、とりあえず市民マラソン大会の10km競争にエントリーしてみた時だった。もう40歳になろうとする頃だった。父親が市民大会にでると知った子供たちは意外にも好意的であり、沿道に応援に来てくれた。次の年も出場したが、子供たちは母親に父さんを応援に行こうと催促するほど、父の味方になってくれてうれしかった。その後も市民大会の10km走やハーフマラソンに年1回程度でるために、家の付近に自分のランニングコースを定めてちょこちょこと走る週末ジョガーであった。巷に居るホノルルマラソンの出場歴を誇るフルマラソンランナーやシーズンに各地のマラソン大会を巡るような強者とは程遠い。こんな週末ジョガーでもランニングを語る資格はあるだろう。走ることは何もフルマラソンを走ることと同義語ではなく、人類にとって必要な身体機能であったからである。
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